登米懐古館

登米懐古館は、昭和36年(1961)に登米町の名誉町民で東北開発(株)総裁・日本鋼管(株)社長・明治大学理事長等を歴任した渡邊政人氏の寄贈により旧寺池城址の一角に建てられた。また同時に、渡邊政人氏の所蔵している登米伊達家に縁のある文化財も合わせて寄贈された。昭和36年(1961)から一般に公開され、その後昭和63年(1989)から展示内容の充実をはかるため増改築を行い、平成2年(1991)に新装開館した。
 
 

常設展示品

  • 金小札萌黄糸縅大鎧 仙台藩主着用
  • 鉄黒漆塗五枚胴 具足 登米初代 伊達宗直君所用
  • 鉄黒漆塗 胸取五枚胴 具足 登米十二代当主 伊達邦寧君所用

 
 

渡邊政人氏について

遺訓

1.人生で一番大切なことは、誠実である。
1.登米(とよま)は、私達の「家」である。
1.人間は、いつも「初心」を忘れてはならない。

氏の人柄は温厚篤実、うちには烈々たる気迫を秘め、事に当たっては細心にして大胆、不撓不屈の信念と実行力に富み、業界・地域においての信望は極めて厚かった。それは氏が16歳の折に志を立てて故郷を後にし、朝鮮・その他の地域を転々し、その後、東京で明治大学商学部卒業するまでの苦労の中で培われた生活体験で得られたものと推察される。…詳しくは渡邊政人氏略歴にて。

» 渡邊政人氏略歴(PDF)

 
 

寺池城について

戦国時代の平山城(ひらやまじろ)で、江戸時代には仙台藩21要害の一つとされていた。北上川西岸の丘陵の南端部に城跡が残っている。築城年代は不明だが、源頼朝の奥州藤原氏討伐に従軍し、奥州総奉行に任じられた葛西氏により建設された城。

天正18年(1590)の豊臣秀吉の奥州仕置により葛西氏が改易・断絶すると、寺池城は秀吉家臣の木村吉清・清久父子の属城の一つとなったが、翌年の葛西大崎一揆で、一揆勢に攻められ佐沼城(同市迫町)とともに落城。

伊達氏の米沢からの国替えに伴い、伊達氏の城となった。この城を重視した伊達政宗(だてまさむね)は慶長9年(1604)、家臣の白石宗直を1万5000石で配し、元和の一国一城令以降も登米要害として存続した。白石氏は天和2年(1682)に藩主から伊達氏を下賜され、以後の白石氏は登米伊達氏と呼ばれるようになった。そして、引き続き登米伊達氏が代々城主を務めて明治維新に至った。

城跡は現在、本丸跡は畑、二の丸が裁判所敷地、三の丸が寺池城址公園になっている。曲輪(くるわ)、土塁、空堀、壇、井戸跡が残り、碑や復元絵図が設けられている。同城は明治維新後は廃城となり、遺構はほとんど残っていないが、町内の熊谷家に寺池城裏門を移築したとされる門がある。

懐古館東南隅石垣の上に赤松の巨木「双竜の松」(市指定天然記念物)が横たわっている。樹齢300年以上と推測され、城址のシンボルとなっている。
 
 

住所・地図

〒987-0702 宮城県登米市登米町寺池桜小路103-9

 
 

施設入館料

各施設単独観覧料

教育資料館 警察資料館 水沢県庁記念館 登米懐古館 伝統芸能伝承館
森舞台
高倉勝子美術館
桜小路
個人 一般
(学生を含む)
400 300 200 200 200 200
高校生 300 200 150 150 150 150
小・中学生 200 150 100 100 100 100

6施設共通観覧料

教育資料館・警察資料館・水沢県庁記念館・登米懐古館
伝統芸能伝承館 森舞台・高倉勝子美術館 桜小路
個人 一般
(学生を含む)
900
高校生 700
小・中学生 500

各施設の開館時間は午前9時から午後4時30分までです。
1団体20名以上で団体扱いとなります。団体の施設入館料は団体様向け情報をご確認ください。