水沢県庁記念館

戊辰戦争(明治元年1868-1869)で政府軍に敗れた仙台藩は、領地を没収され、更に明治2年(1868-1869)版籍奉還の命令が出され、仙台藩は分割になり、藩から返還された地域は「県」と呼ばれることになった。更に、明治4年(1871-1872)廃藩置県が布告され、明治9年に現在の宮城県の県域が成立するまで何度も県の整理統合が行われ、県域が変更された。

その中で現在の宮城県の北部と岩手県の南部を管轄する地域を「登米県」と称した明治4年、本町に登米県庁舎が設置されることになり、7月に上棟式が行われた。そして、翌明治5年水沢県庁舎として落成し明治8年まで使用された。

建物の玄関は堂々たる入母屋造の屋根をかけ、破風には狐格子を付した純粋な日本建築となっているが、本棟は、洋風な木造平屋建てとなっており、県内官公衙建築を代表する貴重な日本独自の洋風建築と言える。

平成元年からの保存修理では、建設当時の資料が不足していたため、登米区裁判所の前身である「石巻治安裁判所登米出張所」として使用された明治22年当時の資料を元に復元され、平成3年に宮城県の誕生経緯や裁判所当時の資料を展示した「水沢県庁記念館」として一般に公開されている。
 
 

建物の経過

明治5年(1872) 11月 水沢県庁本庁舎として落成、使用開始
明治8年(1875) 7月 北上川氾濫により破損
明治8年(1875) 8月 水沢県庁が一関に移転
明治8年(1875) 8月 水沢伝習所として使用(教員の養成所)
明治8年(1875) 11月 水沢県庁としての役割を終える
明治9年(1876) 3月 明治21年まで学校として使用
明治21年(1888) 10月 旧登米高等尋常小学校(現教育資料館)完成
明治22年(1889) 昭和33年まで裁判所として使用
昭和34年(1959) 東北天然スレート工業(株)として使用(7年間)
同敷地内に青年会館落成(公民館、図書館として使用)
同敷地内に青年研修所落成
昭和42年(1967) 昭和52年まで登米町老人センターとして使用
昭和43年(1968) 登米警察署庁舎が現:髙倉勝子美術館前の交通公園に竣工
それに伴い旧水沢県庁舎敷地に町道が新設され建設当初の場所から現在の場所へ移築

 
 

住所・地図

〒987-0702 宮城県登米市登米町寺池桜小路1-5

 
 

施設入館料

各施設単独観覧料

教育資料館 登米懐古館 警察資料館 水沢県庁記念館 伝統芸能伝承館
森舞台
髙倉勝子美術館
桜小路
個人 一般
(学生を含む)
400 400 300 200 200 200
高校生 300 300 200 150 150 150
小・中学生 200 200 150 100 100 100

6施設共通観覧料

教育資料館・警察資料館・水沢県庁記念館・登米懐古館
伝統芸能伝承館 森舞台・髙倉勝子美術館 桜小路
個人 一般
(学生を含む)
1000
高校生 750
小・中学生 500

各施設の開館時間は午前9時から午後4時30分までです。
1団体20名以上で団体扱いとなります。団体の施設入館料は団体様向け情報をご確認ください。